プロフィール

子供時代
いちばんはじめに山を意識したのは小学校の時です。 夕暮れ時、南アルプスのシルエットを見て、山の名前を知りたくなりました。 中学生の時は日本野鳥の会にいたりして、本格的な登山は高校生になってからです。
山の先達との出会い
甲府一高山岳部、OB会は鶴城山岳会。今でもお世話になっています。 その頃の大先輩に故・山村正光さんがいらっしゃいました。 「山は頂上だけの往復ではつまらない。自然、文化、民俗を知ってこそ価値がある」と、盛んに柳田国男を読むことを勧められ、それが僕の原点です。
クライミングに明け暮れた青春
20代はクライミング。甲斐駒や北岳の岩場にも盛んに行きました。ちょうど、今のスポーツクライミングの先駆けのフリークライミングの考え方が世に定着したころで、小川山や城ヶ崎にもよく行っていました。 当時のホームエリアは昇仙峡。山岳会の垣根を越えたチーム昇仙峡開拓団の時代でした。
海外の山から日本の山へ
フリークライミングは、そのまま、香港、ニュージーランド、オーストラリアと続けました。その後、帰国して日本の山の自然が恋しくなり、沢登りにのめり込みました。特に甲斐駒周辺は、尾根も谷もよく通いました。 地図読みや山での生活術は、その頃培われたものです。今に生きています。
熊に襲われる
実は一つエピソードがあります。8年前の出来事です。熊に襲われたのです。コースは芦安の金山沢から大馴鹿峠へ登り、千頭星山から芦安に藪尾根を下るというもの。事件はヤブ尾根の中ほどで起きました。
ヤブから黒いカタマリが、雄叫びを上げながら突進してくる!登山靴で対抗しようとしましたが、全然無駄な抵抗…。ガンガンやられました。無我夢中で戦っていました。気がつくと、一緒にいた飼い犬を熊は追いかけ、行ってしまいました。飼い犬は1週間後に無事帰り、マスコミに大いに取り上げられたのでした。
山の友人達はこのことにふれ、山の神が僕のところにやって来た、などと言います。しかし、これは僕の全くの失敗で、野生動物にこちらの存在を知らせることを怠ったから起きたことです。
登山ガイドになる
ご縁なのか、時代の流れなのか、人に頼まれ、山に登ることが多くなり、(社)日本山岳ガイド協会の試験を受け、ガイド資格を取得しました。その後も、多くの方との出会いに恵まれ、それらの出会いを大切に、思い出の時間を共有しながら、おかげさまで現在に至っています。

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