2016年4月29日金曜日

富士見台

前回の記事、石井登山教室名古屋は机上講習でした。翌日にセッティングされた実技編で神坂峠から富士見台に登ってきました。青空に吸い込まれるような良い天気!

古道といってもいろいろなのですが、飛鳥時代の古代官道「五畿七道」をベースに考えるわかりやすいと思います。今回は名古屋なので、五畿七道の東山道です。中でも最大の難所といわれた神坂峠です。神坂みさかと読みます。中央自動車道、恵那山トンネルの西に神坂みさかSAがあるのでご存知の方も多いのでは。中津川で合流して、さらに1時間ほど車を走らせ登山口へ。

木曽川の支流の落合川の支流の湯船沢川は、さらに温川ぬるかわ、冷川つめたがわと別れます。温川と冷川に挟まれた霧ヶ原という地域。もう田んぼに水が張られていました。田植え前の鏡のような田んぼは大好きです。ぬる川とつめた川というのは水の温度の差より名づけられたもので、約10度の差を持つようです。面白いですね。


 登山口手前のヘアピンカーブに木製の祠があったので単純に山の神が祀られているのかな?などと思って近づいてみると、横の明治30年代に建立された石碑に「蚕かいこ」の文字。


「神坂の風穴」 蚕かいこの卵の冷蔵貯蔵用として使われた石室群です。全部で30個はあると説明されていました。山の岩の間から流れる冷気を利用して、石を積んで倉庫のような石室が築かれていました。車を走らせるだけでいくつも発見しました。ジャパニーズシルクは一時期日本を代表する輸出品でした。その面影です。


現在では中津川から長野県の阿智村に抜けられる立派な道路が通っています。これは車道にある峠。東山道の神坂峠はここから少し北にあって、昔の面影が残されています。


こちらがもともとの神坂峠
 「旅の安全を祈願して峠の神に「幣(ぬさ)」を奉納する習慣がありました。神坂峠周辺には、1000点以上の土器や陶器、石器などが出土しています。」 中津川観光協会より


富士見台へと向かいます。素晴らしい青空とササ野原。


振り返ると恵那山がどっしりと構えていました。


神坂みさか小屋。利用規定とかはわかりませんが、中をのぞくとすごくきれいな無人小屋です。ちょうど業者の方が来ていて、発電機を回しているところでした。起こした電気で沢から水を引いてタンクにためるそうです。その水はトイレと、飲料用に使うということでした。避難小屋なのに丁寧な対応だと思いました。隣のひと回り小さい小屋も避難小屋です。


島崎藤村直筆の小屋の看板
「平成10年冬に富士見台高原の三代目となる神坂小屋が完成しましたが、初代神坂小屋に掲げられていた島崎藤村直筆の「山小屋」と書かれた看板の文字を復元し作成しました。」と書かれていました。


神坂山と奥には南アルプス。神坂山の三角点、国土地理院の基準点閲覧サービスで確認したら、点名はそのまんま神坂山でした。


気温は高かったものの、風が強い日でした。ツエルトを張って強風を避ける体験をしていただきました。ツエルトの中でいただいたお昼。ごちそうさまでした!


帰りは長野県阿智村側の萬岳荘 経由。こんな笹原のやぶ漕ぎはどんなだろう?と入ってみるとそれほどひどいわけではないので、地図読みをしながら進みことになりました。


そこら中にショウジョウバカマ。笹原の中にたくさん咲いていました。


神坂山1684.7m


萬岳荘西のピークです。中腹にトレースのような線が見えます。このピークの向こう側、西に登山道はついています。登りで使った登山道です。左のコルから山腹をまくような徒歩線-----が地形図には書かれていたのですが、実際はありませんでした。でもそのトレースが見ることが出来たわけです。やっぱ昔はあったのでしょう。今は使われていません。


地図もある、地形も読めている、じゃあ旧道を行って見よう! となりました。誰かに頼るわけではなく自分の判断で考えながら山と対峙するということです。


ねらい通りに小ピークの南のコルに近づいたらあがった歓声!


そのまま登山道には戻らず、地図の地形的な特徴を把握しながら神坂峠を目指しました。アングルの杭と有刺鉄線。これは想像ですが 、昔長野県側は放牧が行われていたのかも知れません。


いちど少し左に行ってから右に直角気味に曲がる・・・地形図からそんなことを読み取って、実際にそんな展開で景色が広がると自然と笑みがこぼれます。楽しいんですもの!地図読みです。


ドンピシャで神坂峠に戻りました!よかった、よかった!


神坂峠の部分的に残る東山道の峠道、ヒメイチゲがたくさん咲いていました。


少し時間があったので・・・意外と大収穫でした。


コシアブラとアケビのつる。


中央道恵那山トンネルの西の入り口。神坂峠も富士見台高原もこの真上です。


2016年4月26日火曜日

石井登山教室名古屋

石井登山教室名古屋店、「神坂峠から行く富士見台高原」というテーマの机上講習からでした。古代官道「東山道 神坂峠」、五畿七道のひとつ東山道を知る!というところからの机上講習でした。僕の住む韮崎から、IBS石井スポーツ名古屋店がある名古屋の栄まで、だいたい250km。名古屋テレビ塔がお出迎えしてくれました。


名古屋の食文化はある意味独特です。ひつまぶし、手羽先、味噌カツ、味噌煮込みうどん、きしめん・・・  机上講習前にちょっと腹ごしらえ。知り合いと合流して連れて行ってもらったのが、「台湾ラーメン 味仙」。名古屋発祥の台湾には無い味だそうです。こんな感じです、麺の上に炒めた豚ひき肉とニラがどっさり。スープは鶏ガラベースの醤油味。そして、たっぷりのニンニクと唐辛子。辛さに堪え、額に汗して食べる醍醐味・・・って感想。


机上講習は、古道と登山と読図をからめたかなりデープな内容。


結局、初めて行く山の準備という話になると、地形図の登場!磁北線を入れて、どう折りたたんでいくか?という展開になります。これがわかりやすい僕のブログ記事、 地形図の折り方


全国の25000図が網羅されている、IBS石井名古屋店。


石井登山教室は、店舗の中のこんな感じのスペースで行われます。


机上講習が終わって外に出ると、派手派手な町。


翌朝。近くのビジネスホテルに泊まって、岐阜県中津川の神坂峠登山口に移動です。名古屋の街も外国人であふれていて、泊まったホテルも中国人がいっぱい。夜中に廊下でガヤガヤされてまいりました・・・


途中名古屋城が見えたので、かの有名な金の鯱しゃちほこを間近で見ました。


こちらは朝の小牧城です。





2016年4月24日日曜日

雑誌Fielder vol.27

雑誌フィールダーが送られてきました。先月の取材が記事になったということです。
そのことは先月ブログに書きました。なかなか盛りだくさんで過激な感じのする今回です。


今回、というかいつもそうなんですが、取材の日の10日くらい前にメールが来ます。具体的なことは何も書かれていません。大雑把に、三ちゃんまたお願い!地図読みと歴史とロープワークを絡めたガイドをお願いします。という内容のメールです。頼まれたら何とかしたいと思うおいらです。


下の紹介文、毎回少しづつ変化しています。お互い前に進んでいるということでしょう。「本誌おなじみの登山ガイド。氏の読図技術は登山ガイド界でも屈指で、豊富な山の知識とともに、日々山の歴史を解き明かしている。サバイバル登山家も、今どき珍しい本物の山ヤと称している。」
サバイバル登山家というのは、服部文祥さんのことです。


思いのほか苦労して辿り着いた「餓鬼の嗌」がきののど。


紙面の言葉通り、軽はずみな気持ちでは行けない場所です。マジにフィックスロープを張って安全確保しました。


何もわかってない状態で、地形図だけ見ながらの判断はいっつも真剣勝負です。


アプローチ感満載のこの写真、意外に気に入りました。使われる写真、提供してはいません。すべて編集者の撮ったものです。


今回の「餓鬼の嗌」の紙面4ページのあとに、少しですが地図読みのテキストが載りました。これを見て懐かしくなったのは、フィールダーと初めて仕事をした八頭山のときのものを使っていたから。


地図読みを強調するのは当然だと思います。雑誌フィールダーは基本サバイバルを目指していますから。様々なフィールドの中でまず抑えなくてはならないのが読図です。


下の二枚の写真でシュミレーションが出来ます。



僕が目標にしていることは、普通の登山者がスキルアップすること、そのために お手伝いすること。そんな気持ちでガイド活動しています。


2016年4月22日金曜日

五円玉

このブログは山にまつわることを書こうと決めています。といいつつ、今日素晴らしい出来事があり、思わず書かずにはいられない衝動にかられました。この春から小学5年生になった末っ子の授業参観。社会科の授業でした。

地図帳の世界地図を広げるところから始まりました。太平洋の西にあるのが日本。ユーラシア大陸の東にあるのが日本。赤道よりも北にあるのが日本。日本のいちばん南は沖ノ鳥島(東京都)、いちばん東は南鳥島(東京都)、いちばん西は与那国島(沖縄県)、一番北は択捉島。という風に授業は進み、先生がおもむろに出した小さな紙には◎が印刷されていました。それに五円玉を書いてみてくださいとおっしゃいます。誰も正確には書けません。そこで人数分準備された本物の五円玉が配られ、それを見ながら書いてみるという展開になります。
五円玉の秘密を解き明かすという授業になって行きました。もともとシンプルなデザインなので、割とすんなり子供たちは受け止めます。特徴的な3つのもの。まずは左の植物は麦なのか、稲なのか、草なのか?みんな自分の意見を出し合います。下に描かれている線はなんだろう?ただの線なのか?左が稲なら、田んぼの水か?そして真ん中の穴の周りのギザギザは?いろんな意見を先生がまとめていきました。


5円玉の秘密とそこに込められた願い

・稲穂・・・・いね,こめ,むぎ・・・農家の仕事→「農業
・海・・・・・田んぼ,土地,川,水,海・・・漁業。魚を獲る仕事。→「水産業
・歯車・・・・水車,歯車・・・ものを作る機械をつくる仕事→「工業

・双葉・・・・野菜・木・ふたば ・・・野菜を作る仕事、木を育てる仕事。「林業

日本の国が、産業が発展して豊かな国になるようにという願いが込められている。という話になります。いい歳をした僕でも感動した展開です。10歳、11歳の子供たちにはすごいインパクトだったと思います。話はそれで終わりませんでした。ものすごいオチが待っていました。


実は五円玉が作られはじめたのが昭和23年。大砲の薬きょう(火薬をつめる筒)をつぶして作られたのだそうです。戦争に負けて、国中が焼け野が原になってしまった日本は「平和に暮らせますように」という願いをこめた材質を使い、「産業が盛んになって豊かになりますように」という願いをこめたデザインを描いて、「五円玉」を作ったのです。素材は黄銅(銅と亜鉛の合金)または真鍮とも言います。
感動の授業参観でした!


2016年4月21日木曜日

天覧山

中央道の暁光。


僕が所属している静岡山岳自然ガイド協会の研修「安全管理」埼玉県の飯能の天覧山で行われた研修に参加してきました。主にロープワークの研修でした。


標識もばっちりです。奥武蔵自然歩道として整備されています。


シャガ。


いつも山に行くときは30mのロープと、スリング、カラビナ各4~5枚は持っています。これで大概のことは何とかなります。実際のガイド山行でも使います。登山道に掛けられた橋が崩落していて、ルンゼ状のところにフィックスロープを張ったり、増水した川の渡渉でフィックスロープを張ったり、ぬれた危険な岩場でロープを使って確保したり、去年も何度かそんな場面がありました。


ボーライン


ラビットノット


バタフライノット


十六羅漢 5代将軍綱吉が病気になって、この山のふもとの能仁寺の和尚様が病気平癒の祈願を江戸城でしたお礼として寄進された羅漢像だそうです。ちなみに天覧山は、明治16年、天覧山周辺で軍事演習が行われ、演習の様子を見るために明治天皇がこの山に登ったことが名前の由来。


その能仁寺の持山が天覧山ということでしょう。マナーの悪い岩場利用者のせいで一時期登ることが禁止されていた天覧山の岩場。


ショートロープ


テレインビレー


トップロープ。上部に支点を作ってロープで安全を確保したうえで楽しむ方法。


片手は使っちゃダメ!というルールで登ってみました。


ATC 確保器  ロープが上から下にS字になっていることが大切です。


ブリッジプルージックでセルフビレーを取りながら登り、そのままATCを使って懸垂下降。


この人の笑顔に癒されます!楽しそうな杉ちゃん!


チゴユリ、たくさん咲いていました!