2014年9月30日火曜日

鋸岳 part2

鋸岳2日目です。

暗いうちからヘッドランプをつけて出発しました。高度をあげてシラビソ林に入る頃には明るくなりました。嫌になるくらいの急登です。


シラビソ林を抜けると尾根に出て視界が少し開けます。北岳が見えてきました。


仙丈ヶ岳 はずっと一緒って感じでよく見えています。


三角点ピークは名前の由来の三角点の標石。ルートから北に少し外れています。


紅葉真っ盛りでした。


めざす第一高点。登ったり下ったり、あの高みに行くまで一筋縄ではいきません。


傾斜のある登りだったりします。


当初計画した角兵衛沢を上から見ています。岩屑の沢です。戸台河原も見えています。


角兵衛のコルを過ぎてあと少しで山頂です。


鋸岳第一高点2685m


2014年9月27日、お昼前に起きた御嶽山の噴火活動、4日目に入った今日9月30日になっても終息していない大惨事。犠牲になった方のご冥福をお祈りするとともに、二次被害が起きないことを願います。残酷なようだけど噴煙をしっかり確認出来ました。


東の方角を見ると日向八丁の尾根がとてもきれいに見えました。紅葉です。奥の山は黒戸山。黒戸尾根の名前の由来の山です。うまく写真はとれませんでしたが赤、黄、緑がとても良いコントラストでした。華やいだ日向八丁尾根でした。 


樹林帯に入る前に、西日を浴びた第一高点です。あそこに登ったという感慨ひとしおの瞬間でした。


色づいたナナカマド


横岳峠で荷物を整理して下山です。


釜無川源流を下って山荘に到着。


林道の始まり。山荘の赤い屋根が見えます。


簡単な山ではない鋸岳。絶好のコンディションの中、山が満面の笑みでほほ笑んでくれました!

鋸岳 part1

鋸岳は甲斐駒の北西に位置する山です。山梨では北杜市から甲斐駒の右にギザギザした稜線が見えるし、戸台からも仙流荘あたりからよく見えます。山梨百名山、日本二百名山ということで何かと御縁のある山です。
山登りのセオリーからすれば、甲斐駒と繋げて縦走するのが正しい登り方だとは思いますが、最高地点の第一高点の山頂を踏んで鋸岳登頂とする方は多いです。山の楽しみはいろいろあるのでピークハントでもOKだと思います。ただ、山小屋もないしルート上に危険な岩稜があったりする場合にはそれなりの経験がないと危険極まりないということになります。まさしくそんな鋸岳です。

では第一高点に行くルートはといえば、厳しい順番に次の様な感じになります。大まかですが。
甲斐駒からの縦走➔戸台から角兵衛沢経由➔釜無川源流
・甲斐駒からの縦走の場合、長いことと鋸縦走の核心部とも言えるだ第一高点と第二高点を繋がなくてはなりません。それはクライミングの技術が必要になります。難しいクライミングではありませんが、落石といつも隣合わせというのがほんとのところです。
・角兵衛沢は下の写真です。角兵衛沢のルートが一番短いのですが、写真のような岩屑の中を登って行かなくてはなりません。岩と岩の間に隙間が多い粘板岩というのでしょうか、50cm四方くらい以下の岩がゴロゴロしています。ほぼ全ての岩が動くので不安定極まりないです。登るだけならごまかせても、ここを下るリスクは高いです。
・そして釜無の源流ということになります。少し古くなりますが、オウム事件の前まではなかった林道ゲートが登山道の始まる場所(ヨドバシカメラ山荘)手前の約9kmの所にあって、林道歩きがスタートとなります。横岳峠、三角点ピークまでは樹林帯の急登。三角点ピークから角兵衛沢の頭を過ぎて第一高点までが岩稜歩きとなる、他に比べたら比較的安全なルートです。


釜無川林道のゲート。以前は管理人のおじさんがいて、おじさんの勤務時間中に行くと絶対通してくれませんでした。仕方がないので、ゲート手前から河原を歩いて突破したこともありました。今は無人なので自転車で入る人もいるみたいです。


編笠山と第一高点

ひたすら林道・・・

やっと終わり!


山荘
某企業の社長の別荘だとか?研修目的の小屋だとか?言われていますがほんとのことはわかりません。登山者に関係していることは、高床式の一階部分は解放されていてテントを張れるということと、工事は来年のようですが、この山荘に行けるように取り付け道路を作っているということ。来年はテントは張れないかもしれません。


山荘前の小沢を渡るところから登山道は始まります。


「富士川の水源」

実際の水源

急登の樹林帯


横岳峠
テントを張って焚き火をしました。明日に備えて早々とシュラフにもぐりこみました。


新しい発見
ご一緒したのは、昔かまどで炊事をした経験のある方々でした。発見というのは、その方たちの焚き火の火の扱いについてでした。炊事は毎日のことなのでどうやったら効率よく焚き木を燃やせるか?ということが忘れられないくらい身についているということでした。焚き火なんて久しぶりだわ、なんて初めは興味を示さない感じだったのにその内スイッチが入ったように枯れ枝を集めてきたり、以前の登山者が中途半端に残した太い枯れ木を見事にコントロールして燃やしつくしたのを見た時はなんか感動すら覚えました。
横岳峠の汚らしい焚き火跡がきれいになったのはこの方々のおかげでした。



2014年9月26日金曜日

高谷山からドノコヤ峠へ

台風16号崩れの低気圧のせいで山行が流れてしまいました。
所属している‘静岡山岳自然ガイド協会’の深川弘庸君と読図が必要な尾根歩きをしてきました。

高谷山(たかたにやま)は、白根三山の展望台として有名な「夜叉神峠」の南にある尾根上の1842mのピークです。夜叉神峠からは30分くらいで山頂に立てます。高谷山からの尾根は南下して、途中から東に向きを変え櫛形山へと通じます。櫛形山までは距離があるので今回はドノコヤ峠までとしました。

夜叉神トンネル

高谷山には、2年前に整備された桧尾峠経由のルートを取りました。新聞報道をなんとなく覚えていて前から気になっていたルートです。詳しくは南アルプスNet。夜叉神トンネルの左の立派な道標から入りました。南アルプス林道ゲートの守衛さんも、高谷山に行くことを告げるとすんなり通してくれました。


曽根沢という沢の、大規模な治山工事された脇です。よく手が入っています。ここは高度を稼ぐ感じで急登です。


曽根沢を横切り、小尾根を回り込んで小さな沢を過ぎると『桧尾峠』
高谷山と芦安の桃の木温泉を結ぶ尾根上にある峠です。かなり急な尾根なので初心者向きではありません。尾根上のコルを峠と呼んでいるいるのは、夜叉神峠から来た道がコルの向こう側まで通じていたからでしょう。芦安ファンクラブ作のこの看板によれば、桧尾峠から高谷山の斜面をトラバースして行く先には「中池」という地名が書かれています。


桧尾峠から高谷山に向かいます。痩せた尾根ですが、整備されていて安心して歩けました。


高谷山1842m

間ノ岳が、まるで‘こんちわ!’と言ったかのように一瞬顔を出しました。


高谷山の山頂から忠実に南の尾根を下り、中池の分岐に到着。先ほどの桧尾峠からトラバース道で来るところでしょう。桧尾峠の看板には「危険」の文字がありましたから、沢筋が崩れていたりするトラバース道なのだと思います。


この辺りは幅の広いでこぼこした二重山陵です。小山とくぼみの連続で、不定期に池が出来るところに中池という名前がつけられたのだと思います。登ったり下ったりかなりユニークな地形です。トレースはピンクリボンなどでしっかりつけられています。


カンバ平  天気がいいと農鳥、間ノ岳方面がよく見えるそうです。はっきりしたマーキングはここいらまででした。


シラビソの森

素晴らしい森でした。まるで日本じゃない芦安じゃないみたいな景観でした。「山梨の森林100選」に選ばれた森だそうです。平成6年発行の小冊子に書かれていること「多くのハイカーが訪れる夜叉神峠の稜線沿いに高谷山がある。この南側に人工的に植栽された素晴らしいシラビソ林がある。このように低い位置にシラビソの古い造林地があるのは非常に珍しい。 標高1700m 樹齢40年」
当時で40年ということは、今は樹齢60年の森ということでしょう。


1745.2m三角点の団子沢山

カンバ平の美しい森を抜けると、人工的な気配は少なくなります。三角点のある団子沢山を過ぎるとなおさら。針葉樹や広葉樹の混じり合った林にケモノ道の様な薄いトレース。尾根もアップダウンや左右にふれて、読図が少し難しいです。


ヤロク沢上部の崩壊地
この崩壊地を過ぎたところで直角に左、次のピークは直角に右に曲がります。


痩せ尾根になっていて、全ての岩が動くのではないか?というくらい脆い!


ドノコヤ峠です。峠の名前の変遷

「土ノ小屋峠」:明治時代までの名称。芦安と奈良田の交易の峠みち。日本山岳会が出来る前の峠を越えた外国人として、チェンバレンやアーネストサトウ、ウェストン などが通ったとされている。

「銅之古屋峠」:大正3年(1914)、銅之古屋鉱山(どのこやこうざん、のちの芦安鉱山)開鉱。黄銅鉱を採掘していた鉱山。ドノコヤ峠の西側、ドノコヤ沢を少し下ったところで、今でも廃屋はあります。昭和 31 年(1956)、芦安鉱山は採算が合わず完全に閉山。それでも最盛期には鉱夫やその家族たちで250人もの人が住んでいたとされています。芦安小学校の分校もあったそうです。

「ドノコヤ峠」:鉱山が閉鉱されて、この峠道が片仮名表記の「ドノコヤ峠」と名前を変えます。現在の地形図と同じ表記です。


ドノコヤ峠の様子は奈良田側が崩壊が激しく、以前は写真の奥にあった立派なブナの木も崖下に落ちてしまっていました。


ドノコヤ峠からの帰り道は御勅使川(みだいがわ)の源流部。かなり脆い地形です。もともとの峠道はかなり巻きながら本流に下るという予備知識がありました。


危険なトラバース

この峠みちにはこんなストーリーがあったそうです。
『芦安小学校の5年生は、平成 16 年(2004)4月から「芦安小の歩み」をテーマとして
総合的な学習をスタートさせました。そこで、芦安鉱山に分校があったことを知り、調査を重ね
学習してゆく過程で「芦安鉱山に行ってみたい」という声があがりました。それを受けて芦安フ
ァンクラブでは、かつて鉱山の人々が歩いた道を、たくさんの時間と労力を費やし、安全で歩き
やすい道に整備して、平成 17 年(2005)9月、6年生になった子供達を鉱山に導きました。』


炭焼き釜の石積み

芦安ファンクラブ」は南アルプスの自然保護と適正利用を考えながら地域の活性化を目指し、歴史や文化を継承してゆくことを目的に、平成11年(1999)につくられた団体です。


この立派な鉄板の道標の製作も設置も大変なことだったと思います。


御勅使川本流に下る最後の岩場。傾斜はありませんが脆いです。トラロープがありました。


今年完成したばかりの砂防堰堤


車の回収に向かう途中の、南アルプス市営駐車場。桂の木が黄葉していました。


このようなルートは山のスキルがないとなかなか入れません。

「やぶ山をこよなく愛す」などとタイトルをつけている僕なので、よっぽど藪漕ぎが好きなんですね!などと言われることもありますが、藪漕ぎは好きではありません。今回のような内容の山登りが好きなんです。つまり、自分で考えて行動して、昔の人の営みを感じられるような山登りです。