2024年4月23日火曜日

大楠山

大楠山(おおぐすやま)は、神奈川県横須賀市の西にある241.3mの山で、三浦半島で一番高いピークです。JR横須賀線衣笠駅がスタート。

まずは衣笠駅から衣笠山を目指しました。市街地を地図を見ながら歩くのは山の中を地形図見ながら歩くのとは違いとても難しく感じます。衣笠山を取り巻く衣笠山公園として整備されています。

衣笠山公園へのサインがほとんどなく、入り口を素通りし、西に流れててっきり車道だと思った道はこんな感じ。地形図の破線は徒歩道です。その一つ上の実線は1~3mの軽車道。その軽車道が下の写真です。車道だと思っていたわけですから想定外の展開でした。

衣笠山公園西の軽車道記号の道は山頂方面には行かないようなので、等高線2本分のやぶこぎでした。

衣笠山の山頂部に出てきました。立派な展望台があり、さっそく上りました。


展望台から東の展望は東京湾にたくさんの船が航行し、反対側に大楠山が見えました。
 

展望台の下の三角点は点名「城峰」


衣笠山の遊歩道から神奈川県道27号線横須賀葉山線に出ました。三浦縦貫道路の入り口のトンネルです。トンネル入り口の右の尾根に入る予定でしたが、三浦半島あるあるで私有地なので進入禁止の尾根でした。


神奈川県道27号線横須賀葉山線の南は1000年前の遺跡が登場します。写真は衣笠城への階段です。鎌倉幕府の成り立ちにかかわった三浦氏の山城。命を懸けて頼朝助けたという三浦氏です。三浦半島の三浦でしょう。


行基が建てたといわれる大善寺の井戸の跡。


三浦半島のそれぞれの街の成り立ちはわかりませんが、大善寺から西に延びる道はとても古いもので、横浜横須賀道路(よこよこどうろ)沿いの奇跡的に残っている古道に思えました。その入り口です。


白いツユクサがとてもきれいでした。


横浜横須賀道路(よこよこどうろ)に架かる橋を渡りました。


横須賀ごみ処理施設「エコミル」の横には立派なトイレがあり大楠山へのサインがバッチしでした。

サトイモ科テンナンショウ属のウラシマソウ浦島草はたくさん見られました。浦島太郎の釣り糸に見立てて名付けられたウラシマソウです。

ホウチャクソウ(宝鐸草)「宝鐸:ほうちゃく」とは、お寺の軒先にぶら下がっている風鈴状のものだそうです。

大楠山の最後はゴルフ場の横の道。

大楠山の山頂

山頂北にはニリンソウの群落


大楠山の山頂を後にして、平作に住むガイド仲間の廣川くんの竹林。この日の本当の目的は廣川くんの竹林におじゃましてのタケノコ掘りでした。


タケノコ掘りのレクチャー



皆さんズバット決めたでしょうか?


あっという間にタケノコの山でした。

すぐにあく抜きをしました。小学校の給食に使われていた大鍋が活躍しました。


あく抜きの間に竹林の中で竹のクラフトに挑戦でした。奥様に活躍していただきました。

小さな篭、竹ひごのクラフトでした。

お庭のリュウキュウツツジ

衣笠駅で解散となりましたが、横須賀のマンホールが味わい深かったです。黒船とペリーという直球なんです。

2024年4月19日金曜日

一本岩

ガイド山行の流れって様々ですが、今回の一本岩への山行は何より自分自身が思いっきり行きたかったものでした。なのでご参加いただいた方々に思いっきり感謝!なのでした。高崎からの上信電鉄の終着駅の下仁田駅からスタート。


本宿の街並み。中山道の裏街道「姫街道」の大きな宿場です。この宿から鏑川(かぶらがわ)沿いに姫街道を進みます。2つのキーワードの説明が必要です。「姫街道」というのは西上州から東信の佐久方面に峠越えをするものです。いちばんオフィシャルなルートは何といっても碓氷峠です。それははるか飛鳥時代の官道、東山道が通っていた時からの話です。ただ碓氷峠は難所の峠だしもろもろ費用負担もあり、鏑川(かぶらがわ)沿いのルートが緩やかに進むのでお姫様でも楽に通行できるということでの姫街道です。オフィシャルな碓氷峠より経費が安いという裏街道でもあったそうです。鏑川(かぶらがわ)の鏑(かぶら)というのは祭式で使われた弓矢の矢の先端に付ける飾りということらしいです。弓矢に関係している鏑(かぶら)ということです。


鏑川(かぶらがわ)上流の矢川川中流に聳え立つ一本岩です。姫街道の初鳥屋から最奥の集落高立から古い林道を進むとこつ然と登場する一本岩。この岩は妙義山の星穴岳の伝説とかかわっています。
【大男の百合若大臣が旧松井田町小山沢(横川)から力比べをしようと妙義山に向かって矢を放ったところ、山腹を貫いた。この穴を「射抜き穴」(星穴岳)と呼んでいる。また、貫かれた岩が妙義山の西方約10キロの下仁田町高立集落に突き刺さったとされ、これが「一本岩」だとされている。一本岩を源流とした川は、「矢川川」と呼ばれている。】
百合若大臣というのは蒙古来襲、元寇の時に活躍したといわれる弓の名人だといわれています。星穴岳の穴を空けた矢が一本岩だという話です。


横川から見た星穴岳の写真です。左の穴が射抜き穴で、右がむすび穴といわれる百合若大臣の家来が投げたおむすびで空いた穴と言われています。この2つ穴が夜空の星のように見え、この山を「星穴岳」と呼ぶようになったということでした。


この古道に注目した人物に登場していただきます「尾崎喜八」です。大正から昭和の初めに登山界に登場する詩人です。美ヶ原の美しの塔の詩が尾崎喜八です。一本岩の上流には西洋型の最初の牧場といわれる神津牧場があり、その牧歌的な空間を愛した尾崎喜八は、1893年(明治26年)4月1日横川 – 軽井沢間が開通した信越線の軽井沢からその日のうちに神津牧場に行けると力説しています。都内ー軽井沢ー高立ー一本岩ー神津牧場です。それは【「山の絵本」神津牧場の組曲(昭和7年作)】の中に書かれています。
古い標識がありましたが、決してハイキングコースではない矢川峠への道だということは強調します。このブログ記事の後半に登場します。写真の道型は神津牧場への古道の入り口です。


一本岩の根元をぐるっと回っていた古道から見上げた一本岩です。約180度のぐるっとです。


古道の途中で見かけた大好きな花、ハナネコノメ


尾崎喜八は一本岩を過ぎると急登だと書いていますが、実際はゆるい古道でした。地理院地図に今でも書かれている徒歩道と実際の古道は一致しています。


コロナ後に試行錯誤したひとり対応の幕営はいまでも活躍してます。テント泊志向ではない参加者が、まだ春早い時期にシュラフカバーも持参して今回の山行に対応していただいたのは素晴らしいと思いました。


僕も頑張りました!しっかり仕込みをした鶏の水炊きの夕食。


翌朝、神津牧場に向かう古道です。写真のど真ん中が古道で、こういった今は歩かれていないけど、何となく人の痕跡が感じられるものを道形と表現しています。


こんなサイン、おそらく50年前くらいまで積極的に使われていた古道だろうと思いました。


古い牧草地まで登ってきて見下ろしました。日暮山(にっくれやま)が右奥です。わかりにくいけど一本岩も写っています。


ヤドリギにせめられている木。3月の寒気でヤドリギの花もまだ咲いていませんでした。


現在の神津牧場のエリアに入ってきました。


神津牧場の営業時間は何と午前8時!山行途中にもかかわらず絶対に食べたいということでみんなで神津牧場のソフトクリームでした。ジャージー牛のソフトクリームです。


神津牧場から佐久方面に進む道は香坂峠の古道です。しっかりした登山道になっています。中腹には古道を感じさせる観音像があります。


こんな立派な馬頭観音もあります。江戸時代の末期の建立です。新一万円札の渋沢栄一も見ているはずの馬頭観音です。


中央分水嶺の香坂峠。去年は佐久側から消えかかった古道をトレースした香坂峠です。


八風山手前の矢川峠です。鏑川支流の矢川川の源流なので矢川峠でしょう。地名ってそんなつながりが正統派だと思います。鏑川も弓に関係し、矢川川はストレートに弓矢。そして百合若王子の星穴岳の話に全部通じています。


神津牧場から八風山にかけて東側は崩れ地形で今はどうかわかりませんが、ずいぶん前からその変化を観測する試みが行われていたような痕跡がたくさんありました。


わかりにくいのですが、下りながら横の地形を見るとまるで波打っているように見えました。本当に波のような地形がしばらく続きました。


波打つ地形は矢川川上流部に向かって下りて行ってました。とても危険な感じの沢地形を見下ろしています。難しい判断でしたが、地形図の徒歩道を尾根に目指しました。


途中で見かけたクマの痕跡です。ブナだと思いますが、むちゃくちゃクマの爪痕がついていました。


地形図の徒歩道は一致していて、尾根の南側ベースに確認できました。ただトラバースの道は沢地形で寸断されていてとても歩ける代物じゃなかったので、尾根をトレースしながら下る変更をしました。下の写真はその尾根から昔の道があったであろう所を見下ろしています。とても歩けません。


尾根上にトレースはありましたが、急なところはかなり不安定でロープを出しました。ロープを出すと時間はかかりますが安全に通過するためには必要なロープワークです。


危険なところでロープを出して通過して、再び昔の道に合流したらご褒美のように馬頭観音が横たわっていました。感動した観音様でした。


そこからは特に問題なくスムースに下れました。


尾根のトラバースの道を無事に下って矢川川に立ち、眼に飛び込んできた一本岩です。


キブシの花


幕営地に戻ってテントの撤収。前夜に活躍した鍋をザックに付けた図です。


矢川川を下りながらふりかえって最後の一本岩です。


「高立目がけて七曲リの急坂を一気に降った。そして香坂峠からの路に合して幽邃な谷をさかのぼり、一本岩のスタックの根がたを廻って、いよいよ牧場への急な坂道にかかった。」【「山の絵本」神津牧場の組曲(昭和7年作)】尾崎喜八です。軽井沢から七曲りの急坂を下った一本岩を通過して神津牧場に向かっています。僕らは高立の集落から彼の言う七曲り、群馬県道・長野県道43号下仁田軽井沢線に車を走らせ軽井沢駅に行きました。山行は軽井沢で終わったわけです。お疲れさまでした!