2018年4月18日水曜日

鉄砲木ノ頭

鉄砲木ノ頭というのは富士五湖のひとつ山中湖の東にある1290.8mのピークで、明神山とも呼ばれます。ここの尾根は丹沢山地の西端というとらえ方のようです。すぐ隣には三国山があって、三国というのは相模、駿河、甲斐という古代からある国名のぶつかる接点の山ということ。甲斐と言われる山梨県は、甲府盆地を中心にした国中地方と、富士吉田を中心にした郡内地方に分かれます。御坂峠を越えて郡内の富士吉田に来るとなんといっても大きな富士山に出会えます。


山中湖平野地区に来ました。ここの象徴的な花、フジザクラが咲いていました。フジザクラと富士山のツーショット。フジザクラは別名ヒナザクラとも呼ばれますが正式名称はマメザクラです。


山中湖平に地区は観光地です。テニスコートがたくさんあって、この日は春になってテニスコートの整備が一斉に始まった感じでした。


山道に入ってえぐれているのは昔の仕事道。


ネコノメソウの仲間で一番可哀想なネーミングをされた、ヨゴレネコノメが咲いていました。


これはユリワサビ。アブラナ科ワサビ属の多年草です。たくさん咲いていました。


ツチグリというキノコの仲間。


立派な道に導かれて切通峠。


気が付けば尾根に出て、向こう側は相模の国、神奈川県です。


緩やかな尾根、バイケイソウの尾根でした。緑の花のバイケイソウです。


鉄砲木ノ頭に着きました。眺めの良い山頂の主役はやっぱり富士山。


山中諏訪神社の奥宮の石祠。


山中湖と富士山、絶景です!


萱との原を下ります。山中湖平野地区を目指しています。


キジムシロ 鳥の雉(きじ)が座る筵(むしろ)のたとえ、「雉蓆」と書くそうです。


山中湖湖畔から見た鉄砲木ノ頭。茶色く見える山です。


時間があったので、山梨県の世界遺産センターに行きました。


内容がとても濃いです。富士山にまつわる様々なことを知ることが出来る場所です。


猫坂読図

登山の基本技術として読図、地図を読む力というのがあります。地形図の等高線と実際の地形を一致させなければなりません。それを理解しているのは登山者の中の1割くらいじゃないかと思っています。登山の基本技術の地図読み、少しでもご理解いただきたく地図読み講習を頻繁にやってます。写真は甲府の金櫻神社の鳥居です。


金桜神社から北に延びる古道、みたけ道は地図読みにはもってこいの地形です。それはこういうことで、傾斜がないこと、標高差があまりない中で尾根地形と沢地形がどんどん変化するところということです。写真は瀧尾坂の滝です。


金櫻神社を経て黒平集落から金峰山に至るみたけ道です。猫坂という峠が黒平集落の前にあります。猫坂の前に瀧尾坂というのがあって、沢沿いのルートと左からくる尾根の峠状を乗っ越すルートに分かれます。どちらもしっかりした道形が残っています。


どんどん北上して、いくつかの橋、比較的新しめ(と言っても昭和ですが)の橋を渡ります。


尾根と沢の関係を注意深く確認しながら、現在地を把握して古い道形を辿ると猫坂の峠に出ます。立派な山の神の石祠が迎えてくれます。


鳥居の礎石。今はない鳥居でもこのベースの石を見ると何となくほっとします。片方しかないのが残念ですが。


猫坂で稜線に上がって北の方向にはこの景色。有り難いと思える景色です。


この時は稜線をさらに北に向かい、わかりにくい等高線と実際の地形とがっぷり四つに向き合いました。燕岩岩脈の全貌です。


北上するにつれ変化する黒富士から南下する尾根の様子。


伐採後の植えられた苗木を守るためのネットが延々と張られていました。


全く樹がないので地形図の等高線の変化が手に取るように分かりました。


地図上の・1210mの標高点の様子


ダンコウバイの花


一本西の尾根に乗り換えて、いよいよ尾根地形の下りです。間違えやすい尾根の分岐、しっかり間違えて原因を検証して進みました。


沢に下り立って猫坂の古道に合流。


ヒメニラ、葉っぱは3~4月に出現し約3週間で地上部の葉、花は枯れて姿を消してしまうそうです。珍味と言われています。


ニリンソウも咲き始めました。


瀧尾坂の山ノ神の石祠。


ミツバツツジは目立ちます。


2018年4月17日火曜日

鋸山


房総半島の鋸山に行って来ました。毎日新聞の記事の取材協力でした。関東周辺の比較的登りやすい山を不定期にご紹介するというものです。待ち合わせはJR内房線浜金谷駅。


金谷石の石垣。
房州石(金谷石)は,房総半島西部から切り出された凝灰質の砂岩~細礫岩石材の総称です。採石場は富津市から鋸南町にかけて点在し,その地名をとって,元名石(鋸南町元名),金谷石(富津市金谷),天神山石(富津市海良),高宕石(富津市高宕山)などと呼ばれていました。そのうち最も質の良いものが、鋸山の採石場から稼行された金谷石です。房州石の生産は、江戸末期安政年間に伊豆の石切職人によって始まったと言われています。明治時代には大量に稼行され、京浜方面へ盛んに移出されました。
*稼行かこう~~~地下資源を掘り取ること。採掘。


金谷石のお蔵


館山自動車道をくぐって車力道(石材を運んだ道)の向こうには採石によってギザギザになった鋸山の稜線が見えました。


切り出した石材を山から運んだ道を歩く登山道が車力道。


そして石切り場跡へ。横須賀軍港や横浜の港湾設備、東京湾要塞の資材として利用された金谷石(房州石)。靖国神社や早稲田大学の構内にもあるそうです。


稜線手前の急な階段。設置されている手すりはしっかりしています。


ヒカゲツツジがたくさん咲いていました。


カンアオイもたくさん咲いていました。


ミヤマシキミの花も


山頂を往復して展望台。


横須賀市久里浜と金谷を結ぶ東京湾フェリーが港近くに見えます。遠くは三浦半島です。


急な階段を下って石切り場に戻りました。


ピンボケですが、イワタバコのたね。


鋸山と言えば日本寺、ロープウェー、地獄のぞきが定番です。せっかくなので1人600円の拝観料を払い観光もしました。


尾根の北側から登って、南側の日本寺もグル~と回ったので鋸山の稜線を行ったり来たりの気分でした。


ツルカノコソウ 蔓鹿子草 鹿子模様(かのこもよう)から来ているようです。


ヤマルリソウもたくさん咲いていました。可憐な花で目立ってましたが、イメージより色が薄いと思いました。瑠璃色です。


下った関東ふれあいの道も車力の仕事道。


金谷観光案内所による詳しい説明板。それぞれのポイントで石切りの仕事を中心に説明が書かれています。とても詳しい素晴らしいものです。


午後になると陽が当たり、石切り場が良く見えるようになります。


移動に珍しく電車。内房線は蘇我駅から南は1時間に一本くらいなので、乗り遅れたらだいぶ待たなければなりません。慣れない乗り換えで朝はかなり緊張しました。それとザックを背負って都内の電車の乗り換えがいかに大変かということを実感しました。だいたい車での移動がほとんどですが、都内から参加いただく皆さんの、電車での移動の大変さが良く分かった満員電車の総武線でした。