2017年10月30日月曜日

三つのつむじ

なんのこっちゃなタイトルです。とりあえず鋸岳に向かっています。写真は国道20号北杜市の白州で迎えた朝の空のグラデーションです。


天候不順が続き、おまけに台風が毎週末に襲来・・・山行を組み立てるのもなかなか大変で、鋸岳第一高点に立ちたいというオーダーなのですが、考えに考えての行動でした。結局、釜無川源流からのピストンというルートを選択。そこで釜無川源流に向かいながら思い出したのが、釜無川がまるで甲斐駒周辺の山々を包み込むようなつむじを作って流れているということでした。甲斐駒ケ岳周辺の山々の水を集めて流れ出した釜無川は、長野県と山梨県の境を流れ、富士見町で約90度東に向きを変えます。その変化をつむじに例えています。そのことが書かれている本「甲斐駒ケ岳事典 恩田善雄の覚書」
この本はとても貴重な本です。社会人山岳会の東京白稜会の60周年記念に出版された限定500部の内の一冊が僕の所にあります。昭和20年代からひとつの山岳会が甲斐駒ケ岳のバリエーションに取り組んで、その会員の恩田善雄さんが甲斐駒ケ岳にまつわるあらゆることがら、地名考、歴史、民俗、登攀記録などなど甲斐駒ケ岳にまつわるキーワードが全て網羅されている本なんです。ちなみに東京白稜会は「甲斐駒の白稜か、白稜の甲斐駒か」と言われるくらい甲斐駒に向き合った社会人山岳会でした。社会人山岳会という言葉さえもはや死語ですが。本の表紙を飾っているのが白州台ケ原の今は亡き大先輩の、成沢正通さんのスケッチというのも御縁を感じます。


恩田善雄さんの感性が指摘しているのがこの地形です。こんな地形が近接して存在しているという場所は中々ないであろうという感性です。釜無川、野呂川(北岳を取り囲むようなつむじ)、三峰川(大曲と呼ばれる川の流れの屈曲)。そんなことを考えながら釜無ゲートに向かいました。


あらゆるところから水の流れ。山の保水力を越えるくらいの降雨の日々ということだと思います。


釜無ゲート。ここから実際の登山道が始まるまで約9kmの林道歩きがはじまります。


目指す鋸岳第一高点がいちばん遠くに見えます。


0.5km毎に登場するサイン。登りはじめから約9㎞の林道歩きは標高差で約600mも稼ぐので、登らなくてはならない林道歩きです。


約3.5㎞の地点の先、ここは矢印に従うとNGです。車は通れないけどそのまま右の林道を行けば歩きは大丈夫です。


林道が自然に帰っていて車は通れないのが約3.5㎞地点から先。というのが現状です。


まるで沢登り状態の状況。


その先も川になった林道。


ここまで来ると落ち着いた感じの林道になりました。


釜無川源流の最後の大きな枝沢の中ノ川を過ぎると大きな砂防堰堤が登場します。6番目の堰堤がこれ。格子状の堰堤が見えると林道もいよいよ終わりです。


紅葉が美しかった!


林道終点。なんかなかなか受け入れられない感覚は、この地点まで2~3時間の林道歩き、昔はこの辺りまで入ることが出来たという感覚があるからです。なぜかはわかりませんがオウム真理教の騒ぎがあったころから釜無ゲートから先に一般人は入れなくなったのでした。ここのハードルは高いです。約2時間のハードル・・・


横岳と横岳峠が逆光に光ってました。



1 件のコメント:

  1. 僕の所属している市川山岳会の昭和39年の冬合宿は鋸岳集中でした。その偵察で昭和38年11月に釜ノ沢悪沢、E沢、F沢に入った記録があります。詳細記録が市川山岳会レポートに載っているかどうかは、チェックしてみないとわかりません。昔は全くレポートを書かなかった人もいましたので。

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