2016年11月13日日曜日

百体観音

黒斑山の山行の帰り、前から気になっていた「百体観音」の見学にお付き合いいただきました。

「百体観音」正確には「百体観音石造町石ひゃくたいかんのんせきぞうちょうせき」でしょうか。江戸時代の終わりから明治の初めにかけて建立された観音群のことです。
長野県東御市(とうみし)から地蔵峠を越えて、群馬県嬬恋の鹿沢(かざわ)温泉までの山道の脇に一番から百番までの観音様が、一町ごと(約109m)ごとに祀られています。鹿沢温泉に向かう湯治客の安全を祈念してという始まりです。新張(みはり)交差点横の第一番の観音様。


東御市(とうみし)は小諸市の西、どうも地元ではないので土地勘がイマイチではありますが、鹿沢温泉に向かう湯治客のための丁目石としての観音様なんてとっても惹かれる話です。


車で短時間に拝見させていただきました。湯道と言われる昔の道から、今の県道92号線に動かされている観音像群です。


本当はこの樹をぜひ見に行きましょうということで始まったドライブでした。「弘法大師のさかさ杖」というシナノキです。茂来山に登った時に出会ったコブ太郎という、森の巨木百選に選ばれた大木の存在がありました。黒斑山から下山して、時間が中途半端で、調べたら近くに百選の別な樹があるとわかったので会いに行こうとなったのでした。


「弘法大師のさかさ杖」のシナノキは、百体観音の第五十番の観音様の横にありました。こういうのって偶然でもあり必然でもあり・・・


シナノキにも会えたし、百体観音の50番まで追ってきたので、せいぜい全体で12㎞、最後の100番の観音様まで行こうとなりました。写真は第八十番、地蔵峠の観音様です。


湯 ノ丸山の登山口に近い第八十九番の観音様。



地蔵峠からは下りの道。群馬県に入ってます。群馬県嬬恋村です。


第九十六番の観音様。


第九十九番の観音様。一町(一丁)はだいたい100mなので、次の観音様はすぐに現れます。


「雪山賛歌」の碑。観音様から外れますが、途中にありました。「雪よ、岩よ、われらが宿り・・・」という有名な山の歌です。「1927年(昭和2年)1月、京都帝國大学山岳部の仲間たちと群馬県吾妻郡嬬恋村の鹿沢温泉に来ていた西堀榮三郎(のち第一次南極観測越冬隊隊長)が、冬場の雪で足留めを食らった際に、退屈を紛らわせるために仲間たちと「山岳部の歌を作ろう」を話し合い、詩を書いた。それがこの曲である。wiki」
足止めを食らったのが鹿沢温泉だったということです。図らずも日本の登山史に出てくるような話です。


第百番目の観音様。車で来たとは言え何となく達成感がありました。


木札です。‘碑伝(ひで)’とか‘護摩札’と呼ばれるものです。 碑伝というのは、修験道の行者(山伏・修験者)たちが、自らの修行の証しとして山中の行場に納める札で、木の薄板に墨で名前と年月日や願文などを書いたもの。百体観音を拝みながら、湯ノ丸山まで修業をした方が今月いらっしゃったようです。


東御市側もキャベツで有名な嬬恋村側もしっかりアナウンスしています。


地蔵峠の北側、群馬県嬬恋村は初雪だったようです。


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