2016年10月21日金曜日

弥三郎岳

御岳昇仙峡(みたけしょうせんきょう)です。奥秩父の金峰山から流れ出す荒川に浸食された渓谷美の景勝地です。荒川はやがて富士川になり駿河湾に流れ込みます。写真の右の山が天狗岩、左の岩峰が昇仙峡の象徴の覚円峰(かくえんぽう)。昇仙峡は山梨を代表する観光地です。その観光地で標高が一番高いのが弥三郎岳(やさぶろうだけ)です。弥三郎岳に一番簡単に行く方法はロープウェーに乗ること。ロープウェーの山頂駅から15分くらいで山頂に立てます。今回は読図をしながら登ってみました。弥三郎岳は山梨百名山です。


昇仙峡を象徴するものとして、覚円峰と仙娥滝という滝があります。昇仙峡自体の渓谷は数キロありますが、核心部分の覚円峰と仙娥滝には車で簡単に行くルートがあり、それを使って渓谷は端折りました。写真は仙娥滝(せんがたき)の上にある屏風岩です。屏風岩を巻いて稜線に上がりました。最短で弥三郎岳の山頂に立つことが出来るあまり知られていないルートを辿りました。


屏風岩の基部。たくさんのクライミングルートがあります。今はほとんど登られていないようです。仙娥滝上の観光の売店の裏からすぐに登れるところです。この壁のクライミングの様子がNHKの朝のニュース番組で生中継されたなんてこともあった思い出もあります。30年くらい前。


屛風岩の基部を東に進むとこんなトンネルがあります。何の目的で掘られたのかはわかりませんが、人工的に掘られたものです。このトンネルを回り込んで屛風岩の東の縁から弥三郎岳の山頂に行くルートがあります。


登って、屏風岩の上に立って見える覚円峰。


花崗岩の山ですが、登りやすいように岩にステップが掘られていたりします。


昭和の時代に整備されていたルート。設置された梯子も朽ちていました。


弥三郎岳山頂手前の祠。まつられているのは弥三郎権現。何かといえばこんなお話です。

その昔、甲斐国御岳(今の昇仙峡)にある名刹羅漢寺に弥三郎という酒造りの名人が寺男として住んでいました。弥三郎は武田家の勝ち戦の祝い酒などを造り、大変重宝がられておりました。ところが、大の酒飲みで失敗が多くて、その非を羅漢寺の住職にいさめられて一斗の酒を最後に禁酒を誓い、その夜この頂上登って、天狗になって消えてしまったのだそうです。いつの頃からか、ここは弥三郎岳と呼ばれるようになりました。お酒と山登りの神様です。ドンピシャの神様。


天気はイマイチでしたが、北の方角の茅が岳や曲岳まがりだけがきれいでした。


山頂に向かいます。ロープウェーからの観光客でも登れるようにルートが作られています。


山頂手前のスラブ。スラブは一枚岩って意味です。


弥三郎岳三角点柱石。こんな三角点なかなかないと思ったこと二つ。柱石が地面ではなく岩を削って設置されているってこと。もう一つは、観光客もたくさん来るということなのか三角点になぜかお賽銭?


「自然を守ろう」の立派な看板が一番違和感があるという・・・


弥三郎岳から西に向かうと、すぐに昇仙峡ロープウェーの山頂駅。そこから南に下ると金峰山講の古道になります。金峰山への修験、信仰の道。甲府の街から金峰山に一番多くの人がたどったであろう道です。金桜神社への道です。


みたけ道の尾根を東に折れて沢筋を下ります。羅漢寺沢と言われる沢です。ほどなくして現れる石積。今は本流の荒川沿いにある羅漢寺ですが、昔はこの場所にあったという証拠の石積です。標高は約800m。慶庵4年(1651年)に火事で燃えてしまったということです。江戸時代の初めのころです。今は約1㎞南にお寺はあります。


周辺にたくさんの石積。集落の近くにあったわけではないお寺だし、時代が特定されてはいないけど神仏混合の何でもありの時代だったので、逆に修験者ベースのいわれの山寺です。金峰山絡みの話のもつながりそうです。


里にも近く、炭焼き窯の跡もたくさん登場します。


荒川の本流に出て、そのままつり橋目指してもよかったのですが、手前で、最短距離で本流に出たら、どうしようかとなりました。飛び石伝いで渡れるほどやさしくない水量の本流。速攻でパンツいっちょうになって渡渉しました。なんでいっつもこんな展開になってしまうのか・・・


古くからの友人の宿によって帰りました。昇仙峡渓谷ホテル 


覚円峰と弥三郎岳。



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