2016年8月11日木曜日

岩淵鳥居講

富士宮口山頂目前です。白く見えるのは土嚢です。 土嚢をとると穴が開いています。何の穴?富士宮口登山道の最後の鳥居が立っていた穴です。2016年7月29日に鳥居は取り外されていました。一週間鳥居はなかったことに気付いた登山者はいたでしょうか?8月7日新しい鳥居が建立されるという歴史的な瞬間にお付き合い出来たということに感謝です!

これは富士宮口山頂に、12年に1度の申さる年に鳥居が奉納されるというものです。12年ごとに取り換えられる鳥居です。奉納までの全てを行うのが岩淵鳥居講の皆さんです。「岩淵イワブチ」は地名です。江戸時代の東海道の吉原宿と蒲原宿の間、富士川の西岸の町が岩淵です。いまは富士市。江戸時代には幕府の命により渡船事業が行われていました。つまり富士川の渡し船です。富士川の渡船は慶長7年(1602)から大正13年(1924)まで続きました。写真はブルドーザーによって運ばれる解体された新しい鳥居。


鳥居講って何?となります。○○講、今回は鳥居講ですが、「講 : 中世中頃以後,民衆のあいだで作られた仏事や神事を行うための結社。寺院・神社などを維持したり,集団参詣を行なった。近世になると,行楽を主目的として名山・霊場などへ集団参詣するためのものも生まれた。富士講・伊勢講など。(大辞林)」

富士山の富士宮口山頂に12年ごとに鳥居を建てるため、富士市の岩淵地区の人々が、資金を出し合って、協力し合ってというのが岩淵鳥居講ということです。


新たに作られる渡し船の船材を富士山のふもと、浅間神社の領地から伐り出していて、そのお礼のために山頂に鳥居を奉納するようになったと言われています。

なんで申年(さるどし)なのかといえば、富士山が出現したのが庚申(かのえさる、こうしん)、申年だからと言われているからです。


鳥居講による鳥居奉納の準備は6年前から始まります。岩淵地区約700戸を対象に、毎年各戸500円ずつの集金です。(前回平成16年鳥居講資料)鳥居作成費、搬送費などに充てます。実際の活動は鳥居を奉納する年の6月から鳥居の制作が行われます。

毛布に包まれているのが、解体された鳥居の部材です。


岩淵地区の地元の八坂神社でいちど建てられた鳥居、修祓式(しゅうばつしき)という神事が行われてお払い(お祓い)を受けます。そしてまた解体された鳥居は富士宮浅間神社に運ばれ、あらためて組み立てられ、奉納と登山の安全を祈願する修祓式がここでも執り行われます。そしてまた解体されて富士宮口五合目に運ばれ、最後は富士山の物資輸送のブルドーザーで山頂に運ばれるわけです。
余談ですが、富士山を登っているときにヘリコプターの音がしたら、それは遭難救助です。各山小屋への物資輸送はブルドーザーの役目だから、ヘリコプターが飛ぶことはありません。


鳥居の部材とともに、人員もブルドーザーで10人くらい山頂にやって来ました。いくつものヘアピンカーブをこなしながら、砂埃とともに2時間の修行です。2時間で乗り物に乗って山頂ゲット、周りの景色を見れるわけではないのでとてもつらい2時間でしょう。


岩淵鳥居講の講員の方は、白の法被を着ていました。


200㎏はありそうな鳥居の柱をブルドーザーのバケットから降ろしました。


翌日の奉納に備えてしっかり準備。なぜか僕もお手伝い。山なので、夜雨が降ってもいいようブルーシートで包みます。いちばん神経を使ったのは、登山者です。夜中から早朝にかけてやってくる登山者は、ヘロヘロの人もいて何でもありになってしまいます。暗いうちに来て、鳥居の部材の上で仮眠をとるという人もいるだろうと想像して(鳥居とは知らず)、そんな展開にならないよう神経を使いました。


翌朝です。鳥居講、8時から鳥居の建立が始まると聞いていましたが、何がどうなるかということが全く分かりませんでした。とにかくゆるいんでした。ざっくりという感じです。ケガをしないようにということがベースにありました。


いつでも運べるよう渡しをつけます。縛るのはサラシ。


初めの写真の土嚢が取り払われ、鳥居に柱を立てる穴が出現しました。2本の柱を運んできて組み立ててそのまま立てれるように準備をします。


段取りでは、片側6人、両側で12人で運ぶと聞いていましたが、運べちゃうので8人くらいで搬送が始まりました。印象としてとにかくゆるかったです。大事なことは安全管理、でも何とかなるセクションはてきとう。


前日に鳥居部材がおかれた場所から、鳥居を建てる場所までは約100m、登山者をコントロールすることはなく、自分たちのお勤めを淡々とこなすという感じでした。


そして運ばれた鳥居の柱。


鳥居の柱がベースで、梁の部分を組み立てて、一気に起こすというイメージです。ここは安全管理でいえば肝なので皆さん真剣です!


組み上がった鳥居にロープを掛けて起こすほうが力を込めて引っ張ります。反対側がセーブする感じで引っ張ります。イベントのハイライトです!


12年に一度の鳥居の建立が終わった瞬間です。


鳥居が立ったらすぐさま、足元、鳥居の根元をコンクリートで固めます。基礎がぐらぐらしないように。


最後はしめ飾り。まだ安定しないかも知れないということで転倒しないように上からのロープは繋いだままです。


無事に建立して、浅間神社の宮司によりお清め。


総勢180名が参加したといわれた鳥居講でした。万歳三唱の瞬間。


ズバリ、8月7日の奉納でした。


富士宮口から富士山に登る方は、こんなストーリーを知った上だと富士登山の内容が変わると思います。日本人にとってやはり特別な山が富士山だと思います。国民の祝日になった山の日のブログです。

1 件のコメント:

  1. 貴重なお話ありがとうございます。庚申生まれで今年還暦を迎えます。
    20代の頃は冬山訓練で、50代以降は体力トレーニングのために富士山に登って来ました。
    このお話をいただいて、来月も38回目の富士山トレーニングに富士宮口から登ろうと思います。

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