2015年12月3日木曜日

服部文祥

サヴァイバル登山家として有名な服部文祥さんから電話がかかってきました。「地図読みと古道」という内容で取材をさせてくれとのこと。服部さんは岳人という雑誌の編集者です。今はモンベルがやっているのでモンベルの社員ということです。古道と読図どっちに比重を置けばいいのかな?なんてやり取りでした。こういうのは生ものです。特にテレビや雑誌、メディア関係は向こうに時間がありません。瞬時に思い付いたのが、6月にたくさんの方にご参加いただいた秩父でのイベント「秩父古道」でした。
これは、古道を考える上で大事なことをお伝えするというのがメインテーマの山行でした。飛鳥時代の官道、五畿七道がベースにあって、それを理解したうえで古道を歩くという内容でした。
これで行こうと服部さんとは、釜伏山のふもとの寄居の駅で待ち合わせ。車で釜伏山の東の中間平緑地公園から見た関東平野の写真をとっておこうと走り出しました。秩父は目的の地です。その秩父と古の古道を結ぶルート。地理的に秩父から東に古道を歩いて釜伏峠を越えたところから見える関東平野が大事!という展開なのです。景色は大事です。


なんか最近気になるこの時期の目立つ花。これは皇帝ダリアです。中南米原産のこの時期に咲く目立つ花。園芸種です。


中間平ちゅうげんだいらから関東平野を見下ろす。丸山剛カメラマン。


釜伏峠の案内板。この中に五畿七道が登場。古道のベースなんです。


荒川の長瀞が始まるところ、皆野町の下田野、谷草集落の西の尾根から取付きました。いつものように現在位置の確認と先読み。地形が特徴的なところで、地形図との照らし合わせ。服部文祥さんには失礼だったかもしれませんが、細かく地図読みを説明させていただきました。
彼はハンターです。落ちていた獣の糞を説明してくれました。臭いを嗅いでいるのはイノシシの糞だそうです。この森は獣の感じが薄いとも言っていました。


面白い猟師の言葉も教えていただきました。下の写真は山でよく出会う、獣が一夜を明かした痕跡が残る地面です。ネヤ(寝屋)というそうです。ここに寝たのは鹿。ちっちゃく見えている糞はハクビシンのものということでした。


登山道わきの山柿の木を思いっきりゆすって、落ちた実をガブリの図。どう考えてもタンニンの塊みたいなのに、とりあえずガブリ!としてしまう服部文祥氏。渋柿感いっぱいのお顔。


日本水やまとみず。とりあえず一杯。


釜山神社にお参り。


釜山神社⇒もともとは釜伏神社。名前が戦争遺跡という神社。


ぐるっと回って、中間平緑地公園に戻ったら冬桜が咲いていました。不思議な桜。


中間平緑地公園から西を見ます。真ん中右のピークが釜伏山。お釜を伏せたように見えますでしょうか?


車で釜伏峠を越えて西に下り、平草の集落下で出会った道祖神の道標。


服部文祥さんに秩父の古道をご案内して、そば食べてお別れして、国道140号線を山梨に向けて走り始めました。荒川を左岸から右岸へ。すっごい橋を渡りました。この日は秩父の夜祭が始まる日。町中がお祭りの準備に忙しい夕方という感じでした。武甲山の山頂は雲隠れでした。


心に余裕のない僕は、一刻も早く山梨の我が家に帰りたいという心持でした。いつか、いつの日か秩父の夜祭を楽しめる日が来るかもです。いい日でした。服部文祥さんとも気持ちが通じました。


ありがとうございました。

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